① 羽根西新町

羽根西新町はJR岡崎駅の西出口から西側の占部川までの細長い町になります。もともと町の中心には旧岡崎小学校(現在は岡崎市南部市民センター分館・岡崎市南部乳児保育園等)があり現在も当時の面影が少し残っています。町内の世帯数は少なく約160世帯になり現在は子ども会も町単独では無くなってしまいました。近頃は岡崎医療センターができ、道路の交通量が非常に多く交通事故が心配です。また、昼夜問わず救急車の音も良く聞こえます。
隣は城南学区と接しており一部地域の方とは交流もあります。
【第40号(令和4年1月1日附)に掲載】
② 柱1丁目

柱1丁目は岡崎駅西口より南に位置し、東はJR東海道線、西は県道岡崎碧南線に挟まれ羽根道踏切付近までです。世帯数は225世帯その半数以上はマンション等の共同住宅です。世帯数も増え子供達の元気な声も聞こえる地域となりました。また、一人暮らし・二人暮らしの高齢者世帯は計10世帯となっています。
都市計画道路柱町線(事業延長320m)工事はアンダーパス方式に変更され令和6年度春の開通予定です。付近の林公園が工事現場となってしまい公園の再開も待ち望まれます。
【第43号(令和4年10月1日附)に掲載】
③ 柱2丁目

私はこの柱辻に住んで半世紀になりますが、この地域はすばらしい変貌を遂げてきました。住環境の良さは家族とも時々話題に上がります。自然災害の心配も少なく、まだまだ発展も期待されます。
この少子化の時代に柱辻(1,2,3丁目)の小学生の人数は過去も年間で57人から99人と倍増しています。更に令和6年の予想では110人以上への増加が見込まれています。柱辻のこども達が将来柱辻で育って良かったと思える未来にしたいという思いで保護者の会の方々も頑張っていらっしゃいますので、総代会としても応援していただければと思っています。
【第46号(令和5年8月1日附)に掲載】
④ 柱3丁目

本町は、JR岡崎駅から西へ300m程度に位置しています。町内に面積4,700平方メートルの公園があり、多くの子供達の賑やかな声が聞こえる憩いの空間として利用されています。また、近くにスーパーもあり町内会以外の方も多く利用されています。
多くの人達が快適に過ごせるために町内会の親睦も兼ねて、市の清掃以外に年3回ほど草刈り、落葉拾いを実行しています。
柱一、二丁目町内会と共に公園内の樹木の名札取り付けや、近くのお寺で餅つき会なども開催しています。
多くの人達が集う明るい町内会を目指しています。
【第38号(令和3年8月1日附)に掲載】
⑤ 柱4丁目

柱4丁目はJR岡崎駅西口より西に向かって食品スーパー「フィール」の柱木ノ下交差点附近から占部川の間に位置した町内会です。
商業施設が多く、美容室だけでも7店舗あり附近には現在13階建てのマンションが建設中です。世帯数150世帯で、60世帯以上はマンションです。 町内の竹ノ花公園は、災害時柱5町の町内会の一時避難場所に指定され、公園内の草刈・清掃を年4回町内会で実施しています。又公園内には花壇もあり市から送られた種から苗を育て花壇に植えて管理し、8月には岡崎市主催の「花作りコンクール」に応募しています。
【第47号(令和5年10月15日附)に掲載】
⑥ 柱5丁目

柱5丁目はJR岡崎駅の西側200m位の所で南北に長く民家ばかりで、商売屋さんや工場などはありません。以前の区画整理までは、農業中心の家庭が多かったのですが、最近は若い家庭や、サラリーマン家族も増え、約160戸位の町内です。町内には町民会館とか集会所などの建物もなく、集会は綿積神社の社務所を使わせていただいております。最近は若い世帯が少しずつ増えてきています。今後の町内の事を考えますと、年寄りばかりの役員から若い人たちの意見や考え方を取り入れて進めたいと思っていますが、なかなか若い人たちとの接点が見つからず、暗中模索の状態です。(写真:薬王寺)
【第39号(令和3年10月1日附)に掲載】
⑦ 柱6丁目

最初に町勢について、市の統計値(令和4年6月)から人口200人(男98人、女102人)、世帯数92世帯になっております。
また当地区は昭和51年2月認可の岡崎駅西土地区画整理事業(平成15年施工完了)により再編成され新しい町内会となりました。位置は「柱綿積神社」の南にあり高齢者世帯が多くみられ、世帯数の半分は共同住宅となっております。最近は建替え等により若い住人が増える傾向が見られます。地区の南に「柱町線」の西側への都市計画道路の延伸が都市計画決定されました。将来への期待が望まれます。(写真は綿積神社(左)と火の見櫓(右))
【第42号(令和4年8月1日附)に掲載】
⑧ 柱郷南

柱郷南は南屋敷、折戸、竹ノ花、権九、畔堤、下地、東浦、林からなり、東地区は古くから、西地区は新しくと新旧二分しております。西地区には岡崎駅南土地区画整理事業内に新設住宅、アパート・商業施設が多くでき、今では戸建数125、アパート・商業施設125の計250で、4年前と比べると倍の世帯数になりました。折戸、竹ノ花、権九、下地の4地区は新しく町名を思案中です。
町内のど真ん中を東西へはしる都市計画道路柱町線が令和4年11月から測量・地質調査も始まり【調査位置図】南自動車学校北西交差点から郡界橋間320m(道幅18m)完成すれば、藤田医科大学岡崎医療センターや安城方面に大変便利な道路に成ります。
【第44号(令和5年1月1日附)に掲載】
⑨ 柱川田

本町は、岡崎学区で唯一、占部川の西に位置する城南学区と六ツ美西部学区と隣り合う地域です。近隣の上和田町、井内町、野畑町にも「川田」という字があり、占部川が蛇行していた頃の名残と思われます。
世帯数は130,組は10組の小規模な町内会ですが、JR岡崎駅には近く、商業施設も歩いて行ける範囲に多く住みやすい町です。 今後も、住みやすい「柱川田町内会」を目指していきたいと思います。
【第48号(令和6年1月1日附)に掲載】
⑩ 若松郷北

若松郷北は岡崎小学校の東側に位置し東側の境はJR東海道線で、東西・南北ともに500m程の広さを有します。右図は若松郷公民館に掲示されている明治20年頃の「土地整理實測字限図」の写しで、郷北全域が描かれています。左側の境は現在とほぼ同じで、右上部の緑色の部分は宮前付近が描かれ、右下部には砂川(水色の線)が流れています。地図にはまだ描かれておりませんが、南北の地区境界線(赤色の線)から県道43号線やJR東海道線を想像することができます。
郷北町内には、現在約370世帯が暮らしており、駅南区画整理事業や計画道路の整備が進むに連れ、今後も増えていく可能性があります。
【第42号(令和4年8月1日附)に掲載】
⑪ 若松郷南

若松郷南は、北側は等周寺、太夫塚古墳があります。東から南に砂川が流れ、西方の隣町にも占部川があり、川に囲まれており岡崎学区の南に位置します。川に近いため水害にも悩まされてきました。平成20年には、時間雨量146.5㎜の観測史上最大の雨を記録し、砂川流域の住宅等は床上浸水被害になりました。
現在では、砂川河川工事・占部川の改修整備を主な目的として周辺の広大な水田が埋め立てられ、スーパー・公共施設が建設されています。
この数年で世帯数も400世帯になる一方で一人暮らしの高齢者も増えております。また一戸建やアパートが建てられ若い世帯も増えてきました。今後もさらに活気のある町になりそうです。
【第47号(令和5年10月15日附)に掲載】
⑫ 若松郷東

本町は、東をJR東海道本線、北と西を砂川、南を福岡学区に囲まれた岡崎学区の最南端です。古くは、若松町の田園地帯であった地域が、昭和40年代から、住宅地としての整備が進み、次第に家屋が増えていきました。若松郷として、大変大きな町内会でしたが、平成8年度から北、南、東に3分割され現在に至っています。現在は、砂川の大規模改修工事が進んでおり、橋の架け替え、道路の改修なども含めて10年以内には整備が完了する予定です。
【第38号(令和3年8月1日附)に掲載】
⑬ 針 崎郷

針崎の歴史として明治21(1888)年7月製の針﨑村「土地整理實測字現地圖」【写真】があり、東海道線は記入されていない。その時の宅地戸数を調べると現在の針崎東の東カンジが21戸、宮前が14戸、針崎郷の北門(1、2丁目)が41戸、朱印地が寺と宅地2戸で他7字地区は、田、畑、林でありこの時の針崎村戸数は、78戸であった。134年後の現在針崎郷の環境として、駅南区画整理事業も令和7年に完成になり令和5年には区画整理区域内も使用開始になり戸数も現在(503)戸になりさらに戸数が大幅に増加するため他町のように分町を実施する方向で進めている。
【第44号(令和5年1月1日附)に掲載】
⑭針崎郷西

この(2024年)4月に発足したばかりの新しい町内会です。「新しい町内会には新しい運営を」と考え、回覧板などの情報のデジタル化を試みようとしています。市が推進するデジタル町内会「結ネット」の企画にも参加申請をしています。申請が通れば、回覧板の電子化、一斉連絡、災害時の安否確認などをスピーディーに行うことができます。もちろんデジタルデバイドの問題もありますので、従来のやり方も並行しながら進めていきます。試験運用的にFacebookとInstagramに「針崎郷西町内会」というページを作りました。毎月の回覧文書などを載せています。試行錯誤を重ねて、より良いシステムにしていきたいと考えています。
第50号(令和6年8月1日附)に掲載】
⑮ 針崎東
.jpg)
針崎東町はJR東海道本線の東側にあり、県道岡崎幸田線が縦断しています。平成22年から日清紡針崎工場跡地に春咲地区が新たに生まれ翔南中学、健診センターを含め新たな居住地域ができ人口も約3倍となりました。2018年から岡崎駅針崎若松土地区画整理事業が始まり、県道岡崎幸田線を現在の幅8メートルから18メートルに広げ、家屋等がかかる方は移動します。現在は土地の購入時期となっており2033年が完成予定で、長年の念願である歩道のない道路が改善され、町の隅々まで消防車、救急車が入れる安全・安心な町に近い将来変わる予定です。(写真:県道岡崎幸田線沿いの街並み)
【第39号(令和3年10月1日附)に掲載】
⑯ 若松栄1丁目

若松栄1丁目は、学区区域図の⑯番で、東地区は南公園の北側(西三田ケ入、萱(かや)林)と西地区は県道岡崎幸田線沿い(土取、宮前)の2つの地区に分かれた町内会となっています。思い起こすに、町内を結ぶ道路(旧日清紡工場と社宅の間、現翔南中とはるさき検診センターの間)の桜のトンネルを懐かしく思い出す方も多いことでしょう。総戸数275(マンション等含む),平均年齢43.0歳で高齢化も進んでいます。
西地区では、岡崎駅針崎若松区画整理事業(~令和17年度予定)が計画されており、暫く先になりますが、生活環境の向上が図られ、また県道の拡張、歩道新設による交通安全も図られることと期待をしております。
第48号(令和6年1月1日附)に掲載】
⑰ 若松栄2丁目

若松栄2丁目は、JR西若松踏切から東へ南公園の観覧車近くまで東西に伸び、宮前・萱林地区の240世帯からなります。岡崎学区でも海抜が一番高い丘陵地付近に近年家が建ち、若い世帯が増えてきました。その一方65歳以上の一人暮らし、75歳以上の二人暮らしの方も増えて福祉の充実も更に重要な課題となっています。
今後、都市計画道路旧248号線の拡張工事も本格的に動き出し、病院も建設が進み、若松栄地区の発展が期待されます。コロナ過で交流等が限定されていましたが、少しずつ元に戻りつつあります。
今後も隣接する町内、更に岡崎学区全体と連携をとり、安心安全な町内にしたいと思います。
【第46号(令和5年8月1日附)に掲載】
⑱ 若松栄3丁目

南公園第3駐車場から県道483号線(信号:南公園西)へ向かって左右に世帯が連ねています。
30年以上前には、桜樹のトンネルになっていて、通り抜けて行くと桜吹雪が舞いそれはそれは綺麗で感慨深かったのですが、今はその面影は全くありません。向かって右側(北)は旧来からの世帯なので高齢者が多く、左側(南)ではその後ロイヤルマンションや新興住宅が建ち並んだおかげで子供の数が増え、お祭りも出来るようになりました。父兄が担がなければならない立派過ぎる御神輿があります。その当時は前夜祭もあり、町内の皆さんがお汁粉を作ったり、お酒が振る舞われたりしてそれは賑やかでしたが、今は町内をお獅子が回るだけで、寂しくもあります。新型コロナでお祭りなどの行事が悉く出来なくなったので、おやじの会の方々が今度は盛り上げようといってくれていますので大いに期待しています。
【第40号(令和4年1月1日附)に掲載】